いつもミッキーを温かく見守ってくださり、ありがとうございます。 先日のブログでお伝えした通り、葬儀を無事に終え、ミッキーはお骨になって我が家へ帰ってきました。
ミッキーがいない朝の繰り返し。目覚めと共に襲ってくる強烈な喪失感に戸惑いながらも、今はミッキーにお水とご飯を供え、白檀のお香を焚くことが、私たち飼い主の新しい日課となりました。
ミッキーの旅立ちは3月1日でした。そして明日、3月7日はミッキーの初七日です。 この節目を前に、今日はミッキーの最期の日、そして私の中にある後悔と感謝の気持ちを綴らせてください。
※今回の記事には、ミッキーの急変時の様子や、私の苦しい胸の内を詳しく描写している部分があります。読者の皆様もどうかご無理のない範囲でお読みいただければ幸いです。
あの日、何が起こったか
それは、本当に突然のことでした。
朝7:00 食欲はありませんでしたが、大好きな「ちゅーるごはん」を少しだけ食べてくれました。その後はクローゼットにこもって休んでいました。
午後15:00 皮下補液(点滴)の時間。普段なら終わるとすぐにクローゼットへ逃げ帰るミッキーが、この日だけは、ほんの少しだけ撫でさせてくれました。そして、なぜか一度玄関に立ち寄ってからクローゼットへ戻っていきました。いつもしない行動に違和感を覚えたのは確かです。
夕方16:30 ミッキーの呼吸が荒いことに気づき、急いで病院へ。 レントゲンの結果、軽い肺水腫を起こしていることが分かりました。
先生からは「緊急性はないけれど、明日も呼吸が戻らなければ利尿剤を」と言われ、お薬を手に帰宅しました。
夜22:00 帰宅後からそれまでの間も、ミッキーの苦しそうな様子は変わりませんでした。 先生に電話で相談し、夜の間に利尿剤を飲ませる指示をいただきましたが、警戒心が高まっているミッキーを見て、 今は刺激をしない方が良いのではないかと、私たちは迷いながら距離を取りました。
リビングに置いているケージの中で、ミッキーが自分でお水を飲んだ姿を見て、私たちは少しだけ安堵し、ケージの近くに布団を敷いて仮眠を取ることにしました。(最近はまとまって睡眠を取ることがなく、常に「仮眠」を取る日々が続いていました)
深夜0:00 うつらうつらとしていた私の体の上に、不意にミッキーが乗ってきました。 布団越しでしたが、「あぁ、落ち着いたんだ。よかった」と心から嬉しく思いました。
「ここで触れたら、また警戒させてしまうかもしれない」
そう自分に言い聞かせ、撫でたい気持ちを堪えました。
そのとき、確かに、愛しいミッキーの重さがありました。そしてミッキーが降りた後、私はもう一度眠りました。
後になって夫から聞いた話では、この時、ミッキーは目をぱっちり開いて、とても穏やかで、いつもの可愛くて無邪気な顔をしていたそうです。
深夜2:30 「そろそろお薬ができるかも」と目を覚まし、ミッキーを探しました。 ケージにも、クローゼットにもいない。嫌な予感がして駆け寄った玄関で、ミッキーは倒れていました。 触れた体は、もう息をしていませんでした。
パニックになりながら夫を呼び、震える手と溢れる涙の中で、二人でミッキーの体を拭き、大きめのダンボール箱を用意して、保冷剤とシーツを敷き、その上に寝かせました。
飼い主の無力感と、消えない後悔
この一週間、私の心には二つの「鋭い棘」が刺さり続けていました。
苦しそうなミッキーに、負担になるからと近づけなかった無力感。 そして何より、最期に私の上に乗ってきてくれたのに、一度も撫でてあげられなかった後悔。ミッキーの時間は明日も明後日も普通に続くと思っていました。
「私はなんてことをしてしまったのだろう」
その思いが無限ループのように頭を駆け巡り、自分を責め続けてきました。
主治医の先生との対話
ミッキーが旅立った翌日、主治医の先生に電話で報告をしました。
先生は、ミッキーがこれまで腎臓病と心臓病という二つの重い病気の間で、とても微妙なバランスを保ってきたことを改めてお話ししてくださいました。
今回の急変については、「腎臓というよりは、心臓が突然その限界を迎え、心不全のような形になってしまったのではないか」という見解でした。そして、「飼い主として出来ることは全てやられていたと思います」…と。
実は、急変が午後の皮下補液(点滴)の後だったこともあり、「あの処置が引き金を引いてしまったのではないか」という恐怖が、ずっと私たちの中にありました。
しかし先生は、「あの時の肺の状態から見て、皮下補液が原因とは考えにくい」とはっきりと否定してくださいました。
それが獣医師としての率直な診断だったのか、あるいは自責の念に駆られる私たち飼い主に寄り添ってくださった言葉だったのかは分かりません。
それでも、猫専門医として10ヶ月間、ミッキーの命に真摯に向き合ってくださった先生の言葉に、私たちは救われました。
ミッキーを最後まで支えてくださった先生に、心から感謝しています。
葬儀を終えて気づいた「ミッキーからの贈り物」
葬儀でお骨を拾い、静かに弔う中で、ふと感じたことがあります。 「葬儀」という儀式は、遺された者の止まった時間を動かすためにあるのかもしれない、と。
腎臓病ステージ4という、重い病気の発症から10ヶ月間。 今思えば、この時間はミッキーが私たちにくれた贈り物だった気がします。
「ボクの飼い主たちは、今すぐお別れするのはきっと無理だから。あと10ヶ月だけ、こっちにいるよ」
ミッキーは優しい子だったので、神様にそう言ってくれていたのかもしれません。
そんなミッキーが、私がいつまでも最期の日を悔やんで泣き続けることを望んでいるはずがありません。
あの日、ミッキーが私の上に乗ってきてくれたのは、彼なりの「命の輝き」だったのだと思います。 撫でることはできなかったけれど、あの布団越しの重みは、ミッキーが最期に私に託してくれた「愛の重さ」だった。今はそう思います。
愛しい重み、そしてミッキーへの感謝
明日は初七日です。 悲しみは消えませんし、まだ涙は止まりません。ですが、後悔だけで過ごす時間を、少しずつ手放していこうと思います。
あの愛しい重みを、一生涯忘れずに。
ミッキー、本当によく頑張ったね。11年間、ありがとう。
これからのこと
今回、最も辛い記憶を言葉にしました。これで、あの日の出来事を綴ることはいったん区切りにしようと思います。
思えば、この10ヶ月の闘病生活で私の心を支えてくれたのは、このブログでした。
四十九日を迎える4月18日まで、これからはミッキーとの楽しかった思い出を少しずつ紐解きながら、気持ちを整理していければと思っています。
お時間の許す時に、またミッキーに会いに来ていただけたら嬉しいです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
「猫と聴く音楽」…ミッキーを偲んで
最後に、ミッキーも大好きだった穏やかな音楽を置いておきます。
大好きなキャットタワーで眠っているミッキーの姿と共に、静かな時間を過ごしていただければ幸いです。
↓ 下の動画をクリックしてご視聴ください。


コメント
お互いに贈り物をしていたのではないでしょうか。
ミッキーちゃんは最後にありがとうを伝えたように思いました。
私は母が骨髄異形成症候群(急性白血病手前)になって3ヶ月間ありましたが、コロナ禍でなかなか面会できず、動けなくなって意識がなくなる直前にようやく面会できました。それが最後に会話ができる数分間だと知らずに、言葉で感謝を伝える事ができず後悔しました。しかし言葉にしていても残り時間がもう少ない事を気付かせて怖がらせたのではないか、など何をしても後悔をしてしまったように思います。
ミッキーちゃんは感謝していたと思いますよ。
ミッキーちゃんは良い子でしたね。
ふくさん、お母さまとのお別れという、とても大切なお話をありがとうございます。とても胸に沁みました。言葉にできなかった思いや、どんな選択をしても後悔が残る気持ち…まさに私も同じように感じています。ふくさんのおっしゃる通り、私たちは「お互いに贈り物をしていた」関係だったのかもしれない、と静かに思いました。
感謝や愛情は、言葉よりもずっと深く、あの時間の中に確かにあったのだと思います。ミッキーが「ありがとう」という気持ちを胸いっぱいに抱えて旅立ったとしたら、本当に嬉しく思います。優しい共感を、本当にありがとうございました。